地震後初の出勤日。ママが朝ご飯のオニギリを作って、私の帰りを待っていてくれた。
大袈裟にも、今日が最後かもしれない。これが最後の会話になるかもしれない。
そんなことばかり考えていた私は、惜しげもなく家族とハグをしてから出勤した。
ホテルでは、客室の数を絞り、高速道路や一般道を補修する団体を早速受け入れていた。
それと同時に、各避難場所に入りきれなかった人達や、原発周辺の人達の宿泊も許可していたけど、ホテル自体、大きなダメージを受けていて、とても安全・安心とは言い切れなかった。
破損した貯水槽は修復する術がなく、断水も続いていた為、館内の水という水が総て使えない状態にあった。
燃料の問題で、シーツやタオルといったリネン類が届かず、在庫で補うしかなかった。
揺れる度に、あらゆる警報機が一斉に鳴った。
自分の部屋に戻り改めて気付く。
瓦が落ちて当たったのだろう。ベランダの手すりが変形していた。
そして、その瓦かどうかは分からないけど、割れた瓦の一部が部屋の中に転がってた。
地震が起きた時、たまたま換気の為に部屋の窓を開けていた。
その隙間から部屋に入り込んだとはいえ、その場所が少しでもズレていたら、窓のガラスは割れていただろうに…。
仕事が立て続くと予測を立てた。次のオヤスミが定まらない。その為にも休める時に休まなきゃ…。
そう思っても、揺れる度に目が覚める。そうすると、今度は眠ろうにも眠れない状態になる。
思えばこの時期は、2日に1回の割合で眠っていたような気がする。
メールも随分なタイムラグが発生していた。
mixiには、ログインだけで何分もかかった。
やっとの思いでログインするも、何かを書き込もうとする度に、回線が切断された。
この日「輪番停電」という初めての言葉を聞いた。
福島県にある原発の事故に伴い、電気の供給量がダウンする為の措置だという。
原発から半径10kmに、屋内退避が出た。でも、それはスグ「避難」になり、範囲は20kmに拡大した。
そして、夜には大切な人からの声も届いた。
すずの大切な人の声が「今日はホワイトデー」だったことを教えてくれた。
生涯で一番、そして忘れられないホワイトデーになった。