夜勤のシフトに向け、寝ようと準備を始めたところでした。
設定した覚えもない携帯電話の「エリアメール」が、宮城沖で地震が発生したことを、神経に障るサイレンのような音を発して教えてくれた。
数日前から、震度3~4程度の地震が続いていて、今回のもそんなモンだろ…と思っていたら、急にグラグラと、しかも強く揺れ始まった。
あれ?なんかちょっとヤバイ?と感じ、慌てて部屋を出ると、一足先に庭へ避難していたパパが、いつになく険しい顔で「外へ!!」と大きく手招きした。
その直後、聞いたことのない地鳴りのような激しい音と共に、立ってもいられないような激しい揺れに襲われて、急いで外に出た。
きしんだり、歪んだりしながら揺れる家を呆然と見上げた。
その瞬間、自力で廊下まで出てきたじいちゃんを見て、ハッ…とした。
靴を履き替える余裕などなかった。
土足のまま家にあがり、じいちゃんを抱え、なんとか外に出てパパの所まで運んだ。
この間も揺れは治まるどころか、さらに激しく強さを増し、2階の自室で眠る妹の所へは、申し訳ないが行くことをためらった。
妹を起こそうと大声を張り上げた。
屋根の瓦がガラガラと落ちてきて、窓ガラスは今にも割れそうになりながら外の景色を反射させてた。
さらに大声を張り上げた。怒声に近い声でようやく妹が姿を現し玄関まで下りてくると、土足に履き替えようとモタモタし始まった。
その姿を見て、パパが「そのまま来いって!!」と怒鳴った。
じいちゃんを抱きかかえたまま、なす術もなく揺れる家をただただ見つめた。
玄関の時計が落ちて、ガラスの割れるけたたましい音が響いた。
家が左右に揺すられる度に、屋根の瓦が雪崩れのように落ちてきては地面に叩きつけられた。
温室のようなガラス張りの廊下に並べられたママの大事な蘭の植木が総て倒れた。
傘立てに使っていた大きな壷は、落ちてきた瓦が当たって粉々に砕けた。
家の中からは、何かが割れる音が絶えず聞こえた。
庭のベンチにじいちゃんを一旦座らせ、さて…と思った次の瞬間、突然雪が降り始めた。
吹雪のように剛強と私達の視界を遮る。遠くでは雷が鳴った。
急に恐怖を感じた。阪神淡路大震災の時も、地震直前、まず空の様子に異変が起きた…と記憶していた。
これは、序章に過ぎない…と思った。
恐る恐る家の中に入り、車の鍵を持ち出す。
ガレージに行くと、メルセデスが20cmぐらい前後に揺られた跡があった。
居場所が分かるのに電話が全く通じない。勿論ママからの電話もない。
普通なら、20分程度で往来できる距離。
その倍の40分を過ぎても、ママは帰って来なかった。
心配で心配で居ても立ってもいられず、パパに「行ってくる」と言うと「今はまだダメだ」と窘められた。
地震から既に1時間が経過しても、相変わらず電話は繋がらず、ママも姿を見せなかった。
その間も余震が幾度と無く続いた。
ママの実家は、築年数が30年を超える。
漠然と、ママは潰れた家の下敷きになったかもしれない…と覚悟を決めた
ラジオは緊急の番組に切り替えられ、地震の状況が次々と伝えられた。
携帯電話で観るテレビも、各局地震速報の画面が映し出された。
ただ、その情報の何ヒトツと、マトモに頭に入ってこなかった。
言葉を失い、立ちすくむ。
パパが何度も家の中に出たり入ったりを繰り返していた。
揺れる度にキングがソワソワした。いや、キングがソワソワすると、揺れ始まった。
どんな地震速報よりも、キングの方が正しかった。
そんなキングがソワソワし始める。また揺れるのか…と備えると、見覚えのある1台の車が向かってきた。
ママ、無事の帰還に歓声があがる。
生きてた…そう思ったら、途端に体の力が抜けそうになった。
帰宅するまでの道程を、ママは興奮気味に教えてくれた。
信号が止まったエリアがあること。崩壊した建物のこと。道路の混雑のこと。車のボンネットに瓦が落ちてきて傷がついたこと。そして、すごく怖かったこと。
家族が全員無事だったことを喜んでるヒマもなく、非常事態の緊急会議。
それぞれの必需品をまとめ、片付けの優先順位とその担当が決まると、怪我をしないよう各自に軍手が配られた。
余震の度に外に出ながら、それでも手際良く、ミンナが集まる場所と寝床の準備を整えた。
ママが大事にしていた陶器や、私のお気に入りの食器が無残に放り出されていたけど、悲嘆に暮れてる余裕などこれっぽっちもなかった。
しばらくして、水道が止まった。断水に気付き、井戸を解放する。
以前、保健所に水の検査をしてもらった時、飲み水として大丈夫という結果をもらっていた。
心配だったら煮沸して…と、近所の人達に声をかけた。
夕方が過ぎ、辺りが真っ暗になる頃、ようやく家の中に入れるまでになった。
熱いお茶を入れ、呼吸を整えた。
さあ、どうしよう…なんて途方に暮れるヒマはなかった。
うちの時計、ちょっと遅れてたんだね。